「脳の痛み 心の痛み」 -慢性痛からの解放をめざしてー

●自著紹介
本書は、できるだけ入門書的に、慢性痛のメカニズムを解説するとともに、慢性痛研究の包括的視点を著者なりにまとめたものです。そのなかで皆さんは、恐らく慢性痛という不思議な病態にある程度の関心を抱くことができると思います。痛みを長期にわたって体験するということは、並大抵の精神力では耐えられない苦痛です。患者さんはこの慢性の痛みからの解放を誰よりも強く望んでいるのです。しかし現在の医療制度下では、慢性痛を総合的に治療するための、本来の意味でのペインクリニックを作り上げるのは困難であるといえます。本書は慢性痛治療のためのペインクリニックとはどうあるべきか,その方向性を模索する努力の手始めでもあります。また慢性痛の治療には、心理社会的にも配慮が必要であり、ペインクリニックには心身医学の医療体系も欠かせません。これらはいずれも人間と社会との総合的な関連を捉える学問ともいえるもので、この意味で本書は、医療に関心のある方々のみならず、これから医療と人間性について学ぶ立場の、医学生や医療従事者の皆さんにはうって付けの内容といえます。

●本書の出版経緯 
脳外科の外来では、どこの施設でも、緊張型頭痛の患者さんがお馴染みです。また原因のわからない顔面痛(というより顔面の違和感)を訴える患者さんや、頚椎捻挫のため長期に体調の不良を訴える患者さんも多いものです。多くはMRIや脳波などをいくら調べても原因がわからず、医師のほうが途方に暮れることも珍しくありません。精神的なストレスが原因だと思っても、証明する手段もないのですが、筋弛緩剤と軽い抗不安薬(いわゆる精神安定剤)の内服でよくなります。著者は新米のころ、先輩医師が緊張型頭痛の患者さんに抗不安薬を出すのを見て、どうして身体の症状に抗不安薬が効くのだろうと、とても不思議でした。そのうち自分でも抗不安薬を出すことを覚え、忙しさに紛れてこの疑問は忘れていました。しかし年が経ち、いろいろな患者さんと接するにつれ、慢性の緊張性疾患にストレスがどのようにかかわっていて、なぜ抗不安薬が効くのか再び知りたくなってきました。また、慢性の痛みを訴える患者さんの中には、十分話を聞くだけで良くなる人もいることがわかってきましたが、決まったやり方があるわけでもなく、多くの患者さんは聞くだけではうまくいかず、無力感だけが募っていきました。そんな中で一冊の本「痛みの心理学」(丸田俊彦著、中公新書)に出会いました。これを読んだ瞬間、いままでの疑問をすべて解決する方法が見つかったような気がしました。1989年のことです。それからは居ても立ってもいられず、さっそく心身医学の研修を始めました。また市立病院に勤務していたため、頚椎捻挫の長期化症例などを損保会社から相談されることも多く、主に外傷後の慢性痛を心身医学的に見ていくようになりました。そして多くは試行錯誤でしたが、研究の成果を学会などで発表している内に、幸い出版社の目にとまり、今回それらの成果をまとめて、「脳の痛み 心の痛み」を出版させていただくことになったわけです。この本は慢性痛に関するこれまでの研究を軸に、痛みの一般的な理論をできるだけわかりやすくまとめたものです。また心理療法に関しては、未熟ながら自分なりの考えを多く盛り込みました。「痛みの心理学」に出会って以来、常に考え続けてきたことを、部分的ながら形にできたのではないかと思っております。痛みと人間性について知りたいと思っている方には、できれば全員に読んでいただきたい本です。慢性痛がなかなか治療効果を上げづらいのは、周知の事実ですが、やり方によっては解決策が見えてくるということを、少しでも伝えることができれば幸いと思っています。皆様方のご意見、ご批評をいただければうれしく存じます。

● 内容紹介
1.目次
プロローグ Aさんの災難
第1部 医学的基礎知識
 痛みの不思議 
  慢性痛というもの/痛みとは何か 
 医学的に知られている痛み 
  警告症状としての急性痛/神経損傷と痛み/痛み情報とはなにか/痛みを抑える生理
  機構
 痛みをどう捉えるか 
  痛みを伴う病気の臨床像/痛みをいかに評価するか-慢性痛の客観的な診断は可能か/
痛み評価の補助手段 

第2部 慢性痛をとりまく種々の問題点 ーAさんのケースからー
 現代医療に内在する問題点 
  医療者サイドの考慮すべきこと/現行医療制度と慢性痛
 社会環境と慢性痛 
  社会的にみた慢性痛の病態/慢性痛の経過に影響する社会的保障制度
 個人の性格と慢性痛 
  身体因と心因はどのように関係するか/慢性に痛みを訴える人々の心理背景/
  慢性痛と神経症およびアレキシシミアとの関係について

 第3部 慢性痛を通してみる脳と心の関係
 脳と心のつながりを求めて 
  痛みと身体,痛みと心/脳と心/システムとしての心と身体/心と身体の
  サイバネティック機構 ー 心―脳システム/情動について 
 慢性痛からの解放をめざして 
  痛みの一般的治療/実際の治療はどのように行われているか/どのような治療が理想的か/脳と心の関係ー心理療法への応用について 
 痛みとは?

補足:痛みについての医学的解説

2.抜粋
「… まず,このAさんのケースには,大まかにいって以下の3つの問題点が考えられます.
第一の問題点は,病院へいっても特に何も悪いところはないといわれるにもかかわらず,なぜこのような痛みがずっと続くのか,という点に関してです.これは一般的に言って,医者の説明不足と,この種の痛みに対する医学研究が不足しているという二つの要因が考えられます.医師は「どこも悪いところがない」というのではなく,「現在の医療水準で行い得る診断方法では,あなたの身体には痛みの原因となる異常は見られなかった.従って痛みの原因がこうだと特定するのは難しいかも知れない.しかし現にあなたは痛みを感じているのだから,痛みを良くする方法を一緒に考えていこう.」というような言い方をすべきところでしょう.
… 幸い近年,ペインクリニックの普及や心身医学の発展などに支えられ,医師の間でも臨床心理士らコメディカルとの連帯のもとに,慢性の痛みを訴えるAさんのような人を,一人の社会性を持った人間として捉え,痛みに対応しようという機運が高まっています.
 第二の問題点としては,Aさんを取り囲む社会環境からくる種々の問題があります.すなわち社会的賠償制度の不完全さや,一般人に知識として十分普及していないこと,あるいは賠償制度自体が痛みを長引かせる要因としてみられやすいこと,などが挙げられます.… また賠償制度が病人の怠け心を引き起こす,という社会的偏見も,Aさんが安心して療養に専念できない要因となっていますが,これについては第5章で示す通り,賠償制度が痛みを不必要に長引かせているという証拠は,どこにもないのです.
 第三の問題点として,患者さん自身の元来の性格が挙げられます.もちろんAさんが基本的にどのような性格であろうと,痛みをおこす契機(この場合は追突事故)がなければ問題になることはありません.ある程度神経質な人は,与えられた仕事を一生懸命,完璧にこなそうとするので,会社で高い評価を得ていることも多いでしょう.しかし一度運悪く事故にあったり(年間100人につき1~2人が交通事故にあっています),痛みを伴う病気になったりすると,この性格傾向により,もっと正確にはこの性格傾向によって引き起こされる心理社会的な反応により,痛みが持続する場合もあります.従って性格傾向に合った治療法というものが当然望まれますが,現在の医療現場では,一人一人の人間性を十分吟味して診る時間も,方法論も不足していると言わざるをえません.」
 
 

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